梅鉢の女




 梅は古来より日本人の好む樹木。江戸時代は旧暦なので、新年は現在の 1月末頃に当たり、早い場所ではもう咲き始める。有名な「梅一輪一輪 ほどのあたたかさ」の句は、春、日ごとに上昇する気温とともに、一輪、 また一輪と開花する梅の習性を、みごとに表現している。ゴッホの模写で も有名な、広重の「名所江戸百景 亀戸梅屋敷」は、古くからあった鑑賞 用の梅園。文化年間(1804〜17年)には、江戸に10箇所以上の梅の名所 があったといわれる。なかでも文化2年(1805年)に、個人によって新設 された向島の「新梅屋敷」は、文人墨客が集い、サロン的役割を果たして いたという。

 庭園を持てるのは上級武士や富裕な町人だが、長屋住まいの連中でも、 猫の額ほどの裏庭に棚を作ったりして、鉢植えを並べる。幕末に来日した ヨーロッパ人たちは、「貧しい人々の住まうエリアでも、年中植物を育て 楽しんでいる」などと驚嘆している。 さて、この作品の女も、鉢植え売 りの声を聞いて、羽織を引っかけて買いに出たらしい。ねずみ色の「両子 持縞」の着物に、斜め格子の羽織を着て、髪を「じれった」に束ねただけ の簡素な装いなので、寝起きで外に出てきたところのようだ。梅と福寿草 の寄せ植えは、いかにも新年の一鉢。福寿草は「福付草」「元日草」とも 呼ばれ、新年の祝いの花として、初詣のみやげとしても良く売れた。