石 橋  (しゃっきょう)




 石橋というのは石の橋という意味だが、中国の故事にならって作られた 能の演目で「しゃっきょう」と読む。大江定基という人が、出家して中国 の唐に行き、清涼山(天台山とも)中の石橋で出会った童子が、その橋の いわれと浄土の話を教えて立ち去ったあとに、獅子が現れて牡丹の花に舞 う蝶に誘われ戯れる様子を表現したもの。

 これが歌舞伎に取り入れられ、名女形とうたわれた初代瀬川菊之丞が「 相生獅子」や「枕獅子」の舞踊を誕生させた。「石橋物」といわれ、後に は女形だけでなく、立役(男役)も踊り、さまざまにアレンジされ、現代 にまで受け継がれている。

 さらに時代が下がって、やはり名女形初代中村富十郎が、瀬川菊之丞の 石橋物をもとに生み出したのが、「百千鳥艶郷曽我」の中の舞踊「英執着 獅子」である。奥州という傾城が亡くなると、彼女の亡霊が、下げ髪に打ち掛け姿の身分の高い女の姿となって現れ、敵に取り憑く様子を所作事に したものである。富十郎はこれを、宝暦4年(1754年)に、江戸・中 村座で初めて舞台にのせた。

 鳥居清広描くところの、富十郎の浮世絵をもとに、制作したのがこの作 品である。扇文様の表着に、花入亀甲繋ぎの打ち掛けをまとい、下げ髪に 牡丹を飾った花櫛を挿している。右手に獅子頭、左手にお決まりの牡丹。 打ち掛けの裾を翻し舞う名女形の姿である。