百菊花見


 江戸時代には、菊作りが盛んに行われ、巣鴨、染井辺りの植木屋 の菊園、寺島の百花園などが菊の名所だった。文化(1804〜18年) 末期には、人物(菊人形)や帆掛け舟や灯籠などの「形造り」が流 行り、巣鴨・染井では庭に縁台までだして見物させる植木屋が、50 軒以上もあり、ここに蝟集する人々目当てに、通りには酒や料理の 店、茶店が軒を連ねたという。  形造りとはべつに、一本の台となる菊の茎に、他の種類の茎を接 いでいく「一本造り」という手法を高めた植木屋もいる。それまで に20〜30種類の菊を接いだものはあったが、駒込染井の植木屋・今 右衛門は、太さ 3寸(約 9・)の茎に、100 種類もの中輪の菊を接 いで「百種接分菊」を造り上げた。その「百種接分菊」に集まる人 人を描いた一勇斎国芳の浮世絵をもとに、さらに製作者のオリジナ ルを多数加えて制作したのがこの「百菊花見」である。