(はやりっこ)
流行っ妓

芸者といえば、まず「辰巳」。いわゆる羽織芸者である。「張りと意気 地の深川」とうたわれているが、ここの芸者は冷たい潮風から身を守るた め、当時は男だけが着た羽織を、座敷にも着て出るという異形。源氏名も 鶴八とか、染吉などど権兵衛名(男名)を名乗った。辰巳芸者のきっぷの 良さと意気地は、お侠勇(きゃん)ともいわれ、唐桟や更紗、ビロードな ど高価な舶来物をサラリと着こなし、通人に大いにもてはやされた。 江戸の女踊り子は、若衆歌舞伎の子ども踊りから発生したものといわれ る。その踊り子がさらに80年を経て、“芸者”と呼ばれるようになった のは、明和・安永(1764〜80年)の頃である。江戸の爛熟期といわれる文 化・文政期(1804〜29年)には、芸者も上方とは一線を画す独自の文化の 一端を、担うようになった。作品中の芸者は、ぼかし染に落葉文様の江戸 褄の座敷着。雲紋の帯をおたか結びにしている。三味線と座敷着が同じ柄 なのも、流行っ妓たる芸者の“張り”の表れか。