花 桶




 この作品は寛保・延享(1741〜48年)の頃の傾城(女吉原の高級遊女)の姿。髪は兵庫髷。表着は花入亀甲と雪輪散らし、中着の亀蔵小紋が、当時のファッション・リーダーでもあった吉原の女らしい衣装だ。紗綾形地に梅紋散らしの帯を前結びにして、花桶を手にしている。贔屓客からの贈り物なのだろう、花桶には和歌の短冊が添えられている。吉原の傾城は茶の湯、琴、胡弓、和歌などの教養が高くなければつとまらなかった。

 花桶の花は、白梅、水仙、椿で、春まだ浅い季節に彩りを添える。梅は 中国が原産地で、漢方薬として奈良時代に日本に渡来した。遣唐使の母港 でもあった太宰府から、梅は日本を東へと広まっていったのである。「東 風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」は、余りにも 有名な菅原道真公の歌。ただしこの和歌の梅は紅梅。

 椿を「海石榴」とも書くのは中国で、「(日本から)海を渡ってきた石 榴に似た実」の意。学名をカメリア・ジャポニカ・リンネといい、日本が 原産だが、一般に広まったのは江戸時代。寛永年間(1624〜43年)に椿ブームとなり、たくさんの品種が生まれた。18世紀にはヤソ会のカメリ宣教師がヨーロッパに持ち込み、19世紀に大ブレーク。このような背景があってアレクサンドル・デュマは「椿姫」を著すこととなる。

*注◇亀蔵小紋・・・    市川亀蔵(後の九代市村羽左衛門)が舞台で着用して大流行した渦巻文様。