福寿草売り


 江戸浮世

 花の少ない寒い時期でも、温暖な土地で花を付けるのが福寿草。新年を
寿ぐ花にふさわしく「福付草」とも呼ばれ、初詣のみやげものとしても売られ
た。そのため「朔日草」とか「元日草」とも呼ばれる。福寿草は西洋にもある
が、日本の福寿草は日本の固有種で、元禄(1688〜1703年)の頃 から栽
培されだした。それが天明期(1781〜88年)頃には交配・改良が はじまり、
享和期(1801〜04年)になると『珍花福寿草』という本も出版 された。また
『本草要正』には、130種もの福寿草が掲載されているとい うから、当時の
人気ぶりがわかる。             

 しかも並の人気ではない。江戸時代、熱狂的園芸ブームとなった文化・
文政期(1804〜29年)の『金生樹』のひとつでもあった。金生樹とは、 「万
年青」「松葉蘭」「石斛」「蘇鉄」「橘」「福寿草」などで、これらの新種・珍種
が、ときに法外な値段で売買され、江戸時代終盤のバブル経済の一端と
もなったのである。

 さて、この作品は、天明期の鳥居清長の『風俗東之錦』をもとに制作した
もので、天秤に福寿草の鉢植えを担って町々を売り歩く姿。正月早々なの
だろう、麻の葉散らし文様の晴れ着姿の娘も華やいでいる。福寿草売りの
若者相手に鉢の吟味をしている内儀は、紗綾形の表着に黒の前帯。文様
や着付け、髪形なども、江戸文化の爛熟期といわれる、文化・文政期よりも、
おっとりとした感じがする。
江戸浮世