江戸浮世 | 深川の安宅(あたけ )に文化年間(1804〜17年)の初め頃、「松が鮨」と いう、日本最初の握り鮨屋が店を構えた。かつて鮨は魚を発酵させた「な れずし」だったが、後年、飯に酢を入れて、すぐに食べられる「はや鮨」が 考案され、天明年間(1781〜89年)には、すしの屋台が出現した、ともの 本にある。「松が鮨」は高級握りずし店の元祖で、二重になった 5寸(約 15センチ)の器に入ったすしは、3両(約20万円)もした。上級武士や豪商 などが進物用にと、競って「松が鮨の折」を求め、ますますその名は江戸 中に知れわたることとなる。 この作品の娘が手にしているのは、上記ほどは高価ではないようだが松 が鮨の折。国芳の原作だが、能や歌舞伎の題材にもなっている「安宅の関」 と「安宅の松が鮨」とをかけている。娘は弁慶格子の着物に、扇文様の帯を 締めている。一方幼な子の着物には、籠目文様が描かれている。これは、 義経一行が奥州・藤原秀衡のもとに逃れようとした際、武蔵坊弁慶が、籠を 背負った子どもに、安宅の関への道をたずね、教えてくれたお礼に扇を与え たというエピソードに由来している。 |
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