飛鳥山・桜の景
(あすかやま・さくらのけい)

   

日本人の花見好きは古来より始まり、平安朝の宮廷でさらに洗練された遊びとなった。江戸っ子にとって花見は梅、桜、菖蒲、菊など、四季折々、各地の名所へと出掛けることになる。風流人は梅見を好んだが、庶民がどっとくりだすのはなんといっても桜。桜の名所の第一は「上野のお山」だが、ここは将軍家ゆかりの寛永寺の敷地であるため、公儀の山同心が警備につき、酒も鳴り物もご法度。堅苦しさを嫌う江戸っ子の行く先は、御殿山(現在の品川あたり)か、墨堤(墨田河畔)か飛鳥山。

1720年、8代将軍・吉宗は、江戸の北東郊外の飛鳥山近くの「王子権現」が、中世に故郷・紀州の熊野権現から勘請されたものであることから、飛鳥山に数千本の桜を植え、庶民の遊興の地とした。以来、飛鳥山は庶民の桜見物の名所となった。また大晦日には、関東の狐が集まるので有名な「王子稲荷」も近く、大いに江戸っ子の好むところとなった。

この作品で、それぞれの子は花見の土産を手にして得意顔。右の子が手に持っているのは、王子稲荷だけで売っていた「暫狐(しばらくぎつね )」という紙のおもちゃ。これは、何代目かの市川団十郎が(直接「王子稲荷」
に問い合わせたが、何代目かは不明とのこと)、十八番の「暫」の大当りを祈願
した際に作られたそうだ。飛鳥山界隈は江戸市中からは遠いが参詣者が絶えず、川あり滝ありで、何十軒もの料理屋と茶屋が立ち並んでいた。